政治家を目指すまで

政治家を目指すまで




油絵を描くため短期大学と大学美術学科に6年間も行ってしまった。そこで分かったことは「才能無い」ということ。でもたとえ下手くそで才能無くともあきらめないで続けていれば人生楽しかったのに、と思う。あの頃「働きながら趣味でやればいい」とよく助言されたが割り切れずスッパリ止めてしまった。 via web
2013.09.05 14:07

二足の草鞋を履けないタイプであり、日常生活から何もかもすべてその興味関心ごとに没頭してしまう。自分は余暇も趣味もない生活でもまったく平気なのである。絵描きを止め次に没頭したのは発達障害相談支援業だ。先端医療機関や現場で学ぶために飛び回っていた。その延長上で教育行政へ関心が向いた。 via web
2013.09.05 14:24

わが子が発達障害かもと、悩み苦しんでいるお母さんがたの相談や、学校や教育機関への助言という仕事を自分なりに確立していく中で様々な疑問が生まれてきた。ソーシャルスキル獲得させよ、とか子供にいう前に、この日本社会自体に問題はないかということだ。 via web
2013.09.05 14:32

社会性とは何なのか。結局は多数に合わせることを私たち大人が子供に強要しているだけなのでは、と考えるようになる。それができない子供たちの所作を問題行動とラベリングするのは何故なのか。病院で涙を流すお母さんや子供、そしてその子供の行動への指導教育に悩む教師達の間で考えるようになる。 via web
2013.09.05 14:43

現代の日本社会における学校制度、教育制度に問題はないのかと考えるようになると、必然的に関心は教育行政に向くようになった。日本の教育内容はもはや社会通念上の中だけに過ぎず、今の子供達の健やかな成長を促進させるものではなくなっているのではと、教育行政プロパーの研究機関の門戸を叩く。 via web
2013.09.05 14:59

発達障害研究の教授がいる大学院を経て、その後教育行政専攻のある大学院大学という行政マンのための研究機関へ進学してしっかり研究ことにした。政治家になろうと強く決意したのは、この教育行政研究をしている時だ。その時は民主党政権時であり、大きく制度が変化している時であった。 via web
2013.09.05 15:09

私たち住民の要望や願いをそれを政策として決定ができるのは議員であるから、何かしら専門性をもった議員がいたほうがよいのではないかと思ったのだ。教育委員会地方自治体の関係に特にこの時は興味を持ち、僭越ながらも改革の担い手になろうと、統一地方選挙へ向けて動き出した。 via web
2013.09.05 15:24

ここまで書いて、美術家になる夢をから政治家へとむかったのも、自分の中では繋がっているのだと。政治活動においても、絵を描くのと同じように自由な発想で柔軟な思考をもつことが求められる。作品の為に安易な妥協をせず試行錯誤する「産みの苦しみ」も政策実現する為の行動とよく似ている。 via web
2013.09.05 16:07