政治家の信条と責任

政治家の信条と責任







選挙が勝てないので割って出た政党へ出戻りさせて政党交付金の関係で解党しないという魂胆であればあまりにみっともない。党首は潔く責任をとるべきであると、私のような一兵卒は思うしだいです。 via tweecha for android
2014.11.21 13:09




さて、この政局を高見の見物と決め込むには苦しすぎる。結局誰も責任を取らない政治だからだ。2年前、脱原発を掲げ消費税増税の3党合意を許せずに選挙に挑んだ熱情が一瞬にして消え失せてしまうほど今回は色々とショックを受けた。我々若い政治家達があまりに無力である現実を突きつけられた。 via tweecha for android
2014.11.21 23:01

実際には我々現役世代以降が今後の社会保障費用を大きく背負わねばならないというのは明らかである。特に高齢者への負担をかけずに制度をどうやって維持するか等、とても難しい課題を若い世代は課せられてしまった。ただ反対するだけではただのガス抜きで本質から目を背けているだけだとよく言われた。 via tweecha for android
2014.11.21 23:15

左翼や右翼の運動にも参加したが、そこに職場の同僚や近所のママ友のような一般市民はいないのだ。ましてや政治家同士はもはや一般的な感覚からズレてしまっていてそのズレにきづかない。だから民意をはき違えてしまうのだ。ネットの情報を鵜呑みにしてそれを民意と信じている代議士は多い。 via tweecha for android
2014.11.21 23:24

今の政治情勢は与野党共に不幸な状況であると思う。組織を強固にするために政党執行部の批判や意見はできずしようものなら公認を外され党議拘束をかけられがんじがらめにされる。議員の人権などあったものではない。 via tweecha for android
2014.11.21 23:41

そして政党支持率に一喜一憂するあまり、自分の信条や信念など忘れて当選することが第一義となってしまう。自民公明がくっついたのも第三極ができては潰れ、離党して民主に戻ってしまうのも仕方ないことなのだろう。でも本当にそれを続けてていいのか。その状況から脱却しなくていいのかと思うのだ。 via tweecha for android
2014.11.21 23:50



私と同世代の遅れてきた市民運動参加者は、今まで特に問題は感じなかったが収入減や理不尽な扱いを受けて目覚めたという系が多い。元々親から直系の方は除き、運動の行き着く先で何かが変わらなければ皆やめてしまう。そこは政治と連動すべきと思ったが運動に政治は持ち込まないという流行りもあった。 via tweecha for android
2014.11.22 00:22

運動の主催者側の真の目的は今は知る由もないが、例えば2年前の原発運動最盛期にそのまま政治運動へと繋げることができたら今のような政治構造にはなっていなかったかもしれない。学生運動時代の運動体の作法やその時の失敗を恐れるあまり、我々は先輩たちの言うことを聞きすぎたのかもしれないと。 via tweecha for android
2014.11.22 00:29

それは政治家の世界も同様で確かに経験から学ぶべきなのだろうが、あまりに頼りすぎてしまってもいけなかったのだ。この部分を反省すべきなのだ。みんなの党や旧維新が新鮮に感じなかったのも議員のトップが自民や民主で長く政治家やってた方々であり旧態依然とした政治手法になるのは当然だったと思う via tweecha for android
2014.11.22 00:39

とまあ愚痴のような事を長々言った。責任の所在がはっきりしない政治はやってはいけないと常々思っていた。しかし選挙のためならそれも有りとなれば、もう何がなんだか分からなくなったのが本音だ。もしかしたらこれは世代間ギャップなのかもしれない。普通の同世代の方々には伝わると思っている。 via tweecha for android
2014.11.22 00:58