ブログアーカイブ 「放射能汚染と子育て」 2012年05月03日(木)

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放射能汚染と子育て」 2012年05月03日(木)

橋本久美オフィシャルブログ 「政治活動日記」 より〜
http://ameblo.jp/hashimoto-kumi/theme4-10046210715.html#main


娘は年長さんになれなかった。3月で幼稚園を辞めたからだ。
幼稚園を辞めた理由は、放射能汚染に関する園職員との認識の相違だ。

こちらからは、給食食材の測定と産地の公表を要望した。
産地については、食材業者から送られてきたFAXを当日掲示板にはってくれた。
しかし、当日食材産地がわかっても拒否して代わりの物が出るわけでもない。
給食食材の安全性が業者に確認がとれないため、給食を止めてお弁当にした。

食材測定は、幼稚園のほうが民間の測定機関に検査してくれた。
何を検査に出したのかは忘れてしまったが、安全であると検査機関に証明されたので大丈夫だと保護者会で伝えてくれた。
しかしデータを見たら標記がBqではなく、Svでの計測値であり、食材を測る計測器ではなく、工業用の物だった。
信頼のおける検査機関かどうか確認を求めたが、回答はなかった。
しかたないので、自分で厚生労働省に電話して確認をしたら、「そこの検査機関は消費者相談センターに連絡したほうがいい」と言われた。

幼稚園の庭に、ミニホットスポットがあるということを伝えても、行政の再計測や除染を拒まれた。
こちらの測定器での計測も、他の保護者が怖がるという理由で園内で禁じられてしまった。

園長や先生に面談を申し入れても「特定の保護者とは何度も話し合いはできない」と拒否された。
保護者会で「皆さん賢い保護者になりましょう。モンスターペアレンツと呼ばれないように気をつけましょうね」と堂々と言う先生がいるような幼稚園だった。

ある日朝娘を送りに行った時に古参の先生に「あなたたちのせいで、園の行事と伝統がメチャクチャよ。今までこんなことなかったのに。来年からは一切受け付けませんから。それで文句ないでしょ。」と言われた。

このセリフで理解した。

この人達は、放射能汚染が子どもに影響を与えるとか怖さとかどうでもよくて、幼稚園の行事を滞りなく行うえるかどうか、つまり自分の仕事のほうが子どもの健康や命より重要なんだ、と。
たいした「伝統」だ。

このような関係性と環境の中では、これ以上子どもを通園させることが辛くなってきた。親が辛くなれば、当然子も辛くなる。
娘は幼稚園に登園したがらなくなった。登園しぶりだ。そのうちインフルエンザなど病気にかかり、そのまま休み続けた。

一ヶ月ほど幼稚園に登園できず、そのまま退園した。
その間の担任の対応はメール一つ。電話や手紙はなし。退園届けがFAXで送られてきた。

他の保護者たちには「お仕事の都合で保育園に移るようです」と勝手に伝えられていた。
保育園に入れないから幼稚園の預かり保育のある場所を選んだというのに。年長から保育園の空きなんかあるわけがない。しかも3月に。

結局辞めさせた理由は、私自身が今回の幼稚園のやりとりに我慢ができなかったことが大きい。
豊島区では散々放射性物質の危険性を旗を振って訴えておきながら、自分の子どもはほったらかしなんて耐えられなかったのだ。
(過去のやりとりは以前ブログで書いた)母親の就労と子育て支援問題にプラスして、原発事故後からは放射能汚染問題が入ってきてしまった。
子育て支援に関心が薄いこの国での育児は、本当に大変になってくると思う。

幼稚園生活は仕事を持っている母親には厳しい。
うちの場合は、預かり保育が無い日や幼稚園が休みの日には、保育施設の一時預かりを利用した。
いっぱいで断られることも想定して、全部で3ヶ所の施設に登録してぐるぐる回していた。

学校教育は義務教育で、すべての子どもが対象だ。しかも学校も選択できる。
しかし保育はすべての子どもが対象ではない。選択もできない。
何故このように子どもと親で差が生じるのが当たり前とされてきたのだろうか。

子どもが幼児期の親はまだ若い。お金も貯まっていない次期に、保育料は高く、保育施設がなければ働きにもでられない。
必然的に母親が就業をあきらめることになる。

3歳児神話(大日向雅美による)など持ち出されて、男性の育児参加をとどめて、「おかあさん、おふくろさん」というノスタルジーに浸っているマザコン政治家のせいで、この国の保育や幼児教育は立ち遅れたのではないかと推測する。

男女平等教育の中で育った我々世代は、子どもを生んだ途端に今までの学歴や職歴が何の役に立たないことを知ることになる。
そのような話を聞くたびに、子どもを生み育てることに全く魅力を感じないと思うのは当然のことだ。

さらに放射能汚染でも、政府や政治家が子どもと妊婦の健康と命に何の憂いもない。
そんなバカなことあるわけないと信じていたが、1年経っても気配すらない。

最悪な状況はまだ去っていないのだ。

何とかしなくてはならない、と思った者たち同士がつながりあって立ち上がってゆかねばと思う。

2012年05月03日(木)



執筆責任者 片田清志 @katadakiyoshi